大峰修験行者
大峰山修験道とは、一般社会において煩悩欲に塗れた自身を見つめ直し、
忘れていた自分、見失った自分に気づかされ、
六根清浄懺悔懺悔、心清浄にして、
仏の心、仏の大慈大悲の心に学び、
生きながらにして、仏の心に近づかんとする修行の道であります。

又、過去、現在、未来の三世において、
あらゆるものが因果で繋がり、
この森羅万象の全てが有難く、感謝の対象の御本尊であり、
自身、親、先祖、夫婦、子孫、縁者、全ての与えられし御縁に感謝し、
天下泰平を願い、世界の平和を祈念し、
世を善道に務め導くものであります。

人生とは、競争、戦い、修羅の世界であります。
大峰山は修羅の行といわれます。
人は、刹那の人生を、自身の欲・煩悩で、苦悩しながら生き、その先に行きつくのは、死であります。人は、苦しんで苦しんで、どこかへたどり着く。
それが天国なのか、地獄なのか。
それが、大峰山の験徳の修行で、高徳を目指いします。
 役行者 安全 護持院 山伏 仏教伝来 韓国連広足 吉祥草寺 空海 女人禁制 75靡 理源大師 伝説と世相 役講 前鬼・後鬼